ときどきやってくる、片付けたくない、片付けられない心の状態。
なぜ、掃除も片付けも整理整頓もできないのか?と、自分の心を探ってみて気づいたことをシェアしたいと思います。
また、その後に行った排水管のお掃除についてもご報告します。
最近では、断捨離から、片付け、掃除と、ずいぶんと出来るようになりましたが、ときどき「めんどくさい」という心と共に、片付けられない自分が頭をもたげてきます。
それも、体や心が疲れているから、という理由だけではないことがあります。
では、その別の理由とは何なのでしょうか。
習慣、方法、教授の無さ
掃除や片付けは、毎日の家事の中でも目立たない、地味な作業だと私は思っています。
この地道な作業を続けていくには、習慣化することが大事だと考えてきました。心がなんと言おうとも、有無を言わさずに体が動く状態にする、それが習慣化するということですね。習慣化するまでには、しばし時間がかかるものです。
また、具体的に、どうやって掃除や片付けを進めたらいいのか分からない・・・という方法の無知、という問題もあります。
周囲に教えてくれる人がいない、お手本になる人がいない、という場合でも、本やネットで調べることができるはずなのに、教わる気持ちがないと、行動につながりません。
この3つが、私にとって、具体的な問題であるのだと、ずっと思ってきました。
では、これらを行動できない理由は何なのでしょうか?
片付けられない人は、さみしい人?
片付けられない心理の底には、さみしさがあるのだと、よく言われています。
そもそも、掃除が苦手だった頃の私の心のなかには、確かに「さみしさ」がありました。一人がさびしい、という孤独感に加えて、甘えたいのに甘えられない、という悲しさもあった気がします。
空間に物を置いて、そのさみしい心を埋めているから、物を捨てたり減らしたり無くしたりすることをしない、というわけですね。
これには思い当たることがあります。
ただ、さみしさや孤独感を、全く持っていない人間など存在しませんし、その感情をどう扱っていくのがいいか、試行錯誤するうちに、もしかしたら、さみしさだけが理由ではないのでは、と思うようになりました。
自己不信感と諦めと
自分の心を探っているうちに気が付いたのは、私は親に認めてもらえない、という感情です。ずいぶんと大人になっても、親に対する承認欲求が強かったのですね。
自分らしい自分になるよりは、親の求める自分になる、と、そんなことは全く考えていなかったつもりでいたのに、実のところは、その思いにがんじがらめになっている自分に気が付きました。
その思いは、自己不信感へつながります。自分で自分を信じられないので、何に対しても諦めやすくなります。
認めてもらいたいのに、認めてもらえず、認めてもらおうという行動すらしなくなる・・さらには、動くべきは自分以外の他人であって、自分は断固として動かない、という幼稚な考えに陥っていきます。無意識にそうなるのがやっかいなところです。
他人ではなく、自分で自分を認める
SNSの承認欲求ではありませんが、他人に自分を認めてもらおうとすると、思考と行動の軸が他人軸になってしまいます。
これではいけないと、自分軸にするためには、他人ではなく、自分で自分を認めればいいのだと思い至りました。
それも、自分ひとりが自分を認めればいいのだと、自分に言い聞かせました。
そうしなければ、自分軸を持てないと思ったのです。他人にほめられればそれはもちろん嬉しいですが、ほめられることを目的にして行動することは一切やめようと、意識するようになりました。
そうなると、少しずつ、自分が確りしてくるのがわかります。しっかり、です。もし、どうしてもほめてもらいたいときは、自分で自分をほめるようにしました。
そこで気づいたのは、親にほめられることが少なくて、ほめてもらいたかった自分でした。
親の求める自分ではなく、自分の求める自分になることでほめてもらいたかったのです。それに気が付いたときは涙がでました。
小さなことから始めよう(簡単な排水管おそうじ)
以上は、私がたどってきた心の道筋ですが、今もときどき、このときの状態がふらりと戻ってくることがあります。
そんなときは、いかん、いかんといましめて、小さな行動を起こして、それを自分でほめるようにしています。
だいたい、親に認めてもらいたいなんて、傲慢な考えなのかもしれません。自分が認めてないのに、どうやって他者である親が認めるというのでしょう。。
さて、今日やったのは、排水管の掃除です。お風呂場と洗面所に、重曹をふりかけて15分ほど待ち、クエン酸水を吹き付けて、シュワシュワと泡を作って掃除しました。
ビフォアーです・・汚いです。
重曹をふりかけて・・・待つこと15分。
洗面台には、降り積もらせてしまいました。。
クエン酸水をかけると、シュワシュワ泡がでます!
シャワーで水を流しながら、古い歯ブラシも使ってこすると、すっかりキレイになりました。
このシュワシュワは、非日常棺があるので楽しめますし、きれいになった排水口を見て、小さなことですが、自分をほめます。よかった、よかった。
ほめられたから、きっと、また出来ると思います。
何もできない!と思ってしまう日は、こんなに簡単な排水口のお掃除をして、自分をほめること、私はおすすめしたいです。