寒くなって、足腰の痛みが出てきました、尼花です。
今日は、近くの腰痛センター・整骨院へ行ってきました。
ここの先生に、大掃除はあんまり張り切ってしないでね、と言われているのですが、私、掃除をしないわけには参りません!!
そんな私が、治療中に、小耳にはさんだ出来事をシェアさせてください。
日曜の整体整骨院
今月に入ってから、足腰の治療で、腰痛センターの整体整骨院に通っています。
日曜の午前も2時間だけオープンしているので、土曜にパートのある私にも通いやすいところです。
お天気も良かったので、治療に出かけたら、休みの日なのに、あるいは休みの日だからか?たくさんの患者さんが来ていました。
ここでは、電気治療を中心にやってもらっています。
ハリもやってもらえるのですが、私はハリが怖くて、一度通院を中断している前科があります。。^^;
それで、今回は、ハリは極力避けてもらって、レーザーなども使っての治療にしていただいているんですね・・・
ここでは、まず、腰全体を電気であたためて、それから問題のある場所に個別に電気治療をしていきます。
今日も、腰を温めてもらったあと、一つ目の電気治療をしていると、先生が他の患者さんと話しているのが聞こえてきました。
整体の先生のつぶやき
ここの整体院では、診察エリアが広く、ベッドのほかに、イスに座ってあたためや電気治療が行われています。
最初のあたためや、一つ目の電気治療は、このイスに座って受けますが、他の患者さんと同じスペースにいるので、お互いの顔や様子が見えるのです。
また、この整体院は、年配の院長先生と、その息子さんの先生がいて、お父さんの方の院長先生は、半分リタイアしているのか、平日に私が行くと、居ないことが多いです。
だから、私は、息子さんの方の先生に治療してもらっているのですが、この日は日曜だったせいか、お父さんの院長先生とお二人で施術をされていました。
院長先生は、施術中の患者さんと、市内の何かの統計数の話をされていました。
すぐそばに座っていた私の耳に、その話がイヤでも入ってきます。
そして、そのうち、ご自身の話をしはじめました。
「ボクが父親に抱っこされたのは、1か月なんですよ」
と、話していました。
「昭和××年の5月に生まれて、6月にはもう入隊してね。翌年に戦死しているので、父親とは1か月だけでしたね」。
察するに、さきほどの統計数の話は、親をなくした子どもの話か、あるいはもっと深刻な話だったのでしょうか。
さらに、毎年、東京の神社へお参りに行くと言っていました。
「天皇さんは、本当に国民のことを考えてくださってますね」
話の切れ切れに、そんな言葉も聞こえてきて、ああ、天皇誕生日は今日だったな、と思い出しました。
そして、思い出したこと
生後1か月の父親との触れ合いを、院長先生が覚えているのかどうか、おそらく覚えていない確率の方が高いのではと思います。
そして、さらりと話されていても、戦争で父親を奪われた子どもが、その後、どんな思いをして育っていったのか・・・これまでの70年以上の年月を、私などには思いはかることは難しいでしょう。
ただ、ひとつ、思い出したことがありました。
それは、ニュージーランドに住んでいたときのことです。
偶然にも、ある二人のカンボジア人の方と話す機会がありました。
一人は、私がバイトしていた先のホテルで、清掃の仕事をしていた男性です。
いつも、軽く挨拶をするだけでしたが、あるとき、何かの拍子に雑談をしたことがありました。
彼がカンボジアからニュージーランドに来たのは、30年以上前だということでした。驚きのリアクションをする私に、彼が小さく笑ったのを覚えています。
ニュージーランドはいいところですよねえ、と返す私に、彼はこう言いました。
本当にいいところだよ。
少なくとも、戦争はないからね。
その言葉が、なぜかぐさりと胸に刺さりました。
そして、そこでやっと、彼がおそらくは難民だったのだろうと想像したのです。
また、別のときに、知ったカンボジア出身の女性は、奇しくも私と同い年でした。
彼女は、ニュージーランドで成功している難民出身者で、1冊の自伝を書いていました。
その本によれば、ポルポト派のクメール・ルージュによってホームタウンを追われ、父親を奪われ、母親と強制労働を課され、その後、ベトナムへ逃げて、地雷を潜り抜け、タイへ渡り、ニュージーランドへ移ったというのです。
過酷な経験を積んで、新天地へやってきたのですが、その新天地での経験の方が、さらに辛かったと書いてられました。
その本の主題は、この故国での運命の厳しさよりも、さらに追い詰められた気持ちになった自由の国での葛藤から、いかに立ち直ってきたか、という極めてポジティブなものです。
私は、たまたま小旅行で立ち寄ったある町の本屋で、この本に出会い、そんな深刻な話とは知らずに購入しました。
すると、書店の店員のお姉さんが、作者はこの町の人で、ここから近くの店にいるかもしれないから、たずねてみれば??と教えてもらい、好奇心で行ってみたのです。
残念ながら、お店には不在でしたが、店のスタッフの方が親切にも本人に電話をしてくれて、携帯電話ごしに少し話をさせてもらったのでした。
私にはいい思い出です。
おそらく、ホテルで出会った男性も、新天地が天国だったとは言えないのだろうと思いますが、それでも、戦争がないだけ良いのだ、と言った、その言葉の重みを、私は今日の日にこそ思い出すのにふさわしいのかもしれないと、感じています。
私は、右も左もなんの思想も持ち合わせていませんが、ただただ、戦争だけは、絶対に、二度と起きてほしくないと願っている一人です。