こんにちは。尼花(あまはな)こと、尼ヶ辻花子です。
こんまりこと近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」初版改訂版を、第3章まで読み進めたところです。
ここまで読んでみて、物の役割について、気付いたことをお伝えしたいと思います。
オーディブルで読む「人生がときめく片づけの魔法」
こんまりメソッドの原点「人生がときめく片づけの魔法 改訂版」を読み進めて、やっと第3章が終わったところです。
正確には、オーディブル版で聴いています。
本も持っているのですが、家事をしながら聴けるオーディブルの方が、現在の私には合っているようです。
ところで、このオーディブル。耳で聴く本なので、当然、本を読んでくれる方がいるわけです。俳優さん、声優さんなど、プロの方が読まれていることが多く、海外の本などだと、ときに作者が朗読されていたりして興味深いです。
こんまりさんの本については、田澤利衣子さんと言う方が朗読をされています。なんと沢木耕太郎の娘さんなんだそうですが、ふんわりとした癒し系の可愛いお声です。
オーディブルのよい点の一つに、音声のスピードを調節できることがあります。再生速度が、遅い方では半分のスピード、速い方では3.5倍までのスピードで聴くことができるんです。声の調子も速度によって、少しずつ変わるので、話し方を好みの速度に調節することが可能です。
私の場合、最初、これを知らずに0.8度のゆっくりスピードを選んで聴いていました。なんだか、まったりしすぎる話し方だな・・・と思っていたので、このスピードをノーマル速度の1.0にしてから、すごく聴きやすくなりましたよ。
二回目に聴くときなど、さっと聴きたいときなどは、速度を上げてみてもいいかもしれませんね。
人と同じように、物には役割がある
こんまりさんの「人生がときめく片づけの魔法」を第3章まで読み進みました。途中、いくつも良い言葉、はっとさせられるエピソードなどがたくさんありました。
この章では、片づけを行う際の具体的な手順がつづられているのですが、こんまりさんは、物を、ただのモノとは扱っていないことに気が付きました。ときめく、という言葉もそうですが、物をまるで人のように、命や感情をもっている対象として扱っているのです。それが、ときに「不思議ちゃん」の異名を持たれる所以なのかもしれませんが、これは、いわゆる擬人化といったものではないのだと、ページをすすめるうちに私は思い当たりました。
そう、犬や猫を人間の子ども扱いにするとか、文房具に名前をつけて友だちのように接するとか、行為の是非はともかく、そういうタイプの擬人化とはちょっと異なっているのです。
なぜなら、犬や猫や文房具は、自分に対してのヒトのようなもの、として扱うことになるのだと思うのですが、こんまりメソッドのなかでの物の扱い方は、あくまで自分にとっての存在としてどうなのか、という自分主体で存在する対象なのです。
つまり、物には役割がある、ということです。
勝手なようですが、役目が終われば、そのモノは引退となります。ただ、人とは違って、あくまで自分という人間に対して、味方だったりヘルパーだったりしたものが、去って行ったり、新たに入ってきたりするということです。
第3章の最後の方で「たくさんのモノを抱え込んで捨てずに持っているからといって、モノを大事にしているわけではありません。むしろ、その逆です(P174より引用)」と書かれています。この言葉にもハッとさせられました。
これをモノから人に変えて考えてみると、たくさんの人間関係がその相手を大事にすることにつながらない、というのは明白なことが分かります。ただ、モノの場合は、あくまで私自身にとって、ということになるのではないでしょうか。
いま現在の自分にとって、どうなのか・・・
過去や未来でなく、いま現在の自分にとって、物が役割を持ってくれているのか考えることは、こんまりさんのいう「ときめき」を感じるかどうかと結びつくのかもしれません。
ここまで読んで、まだ実際の片づけ祭りは行っていない私ですが、本を読み終えたら、ぜひやりたい!という気持ちが高まってきました。
まとめ
こんまりさんこと近藤麻理恵著「人生がときめく片づけの魔法 改訂版」をオーディブルで第3章まで読み、気付いたことについてつづりました。
物には役割があるということ。
当たり前のことですけれど、主体を自分自身に置くことで、片づけが、他ならない自分自身のためのことであるんだと、強く感じることができました。
また続きをご報告できればと思います!