こんにちは。尼花(あまはな)こと、尼ヶ辻花子です。
こんまりさんこと近藤麻理恵さん著作の「人生がときめく片づけの魔法2改訂版」をオーディブルを聴いていて、目からウロコで納得したことがありました。
それは、「片づけ」と「掃除」の違いについてです。
この違いを知ると、こんまりさんの言う「ときめく」の意味が探れそうな気がしています。
掃除はできても、片づけが出来ない私の言い訳
先日から、こんまりさんこと近藤麻理恵さん著「人生がときめく片づけの魔法2改訂版」をオーディブルで聴き始めています。
いま、2章まで聴き終わったところです。
ちょうど、この前に出版されていた「人生がときめく片づけの魔法改訂版」をペーパーブックで注文していたのが届いたので、まずは、本来の順番通りに読み進めようと思っているところです^^
ところで、私がこのブログを始めたキッカケは、苦手な掃除をもっとできるようになりたい!!ということでした。
これには、掃除なら、できるかも…という気持ちが含まれていたように思います。
そして、おかげさまで、掃除については、割と出来るようになってきました。
出来ている人からみたら全然・・・かもしれませんが、少なくとも、ホコリで喘息になるほどのことにはなってないと思っています^^
ですが、片づけは、また別のハナシ。
というのも、私が、片づけを放置している理由がいくつかあるんですよね・・
それは、面倒くさいとか、時間がないとか、別に困ってないし(←私は)・・という心理的な理由があります。
それに加えて、とっちらかっているように見えても、本人には、どこに何があるか分かっているから、というのもあります。
つまり、必要がない、と心のどこかで思っているわけです。
さらに、本音のところでは、片づけるって、結局のところどういうことか分からないし、方法も分からない、ということもありました。
ところが、こんまりさんの本に出合って、目からウロコの気づきがありました。
掃除と片づけの違いとは?
こんまりさんの本によると、片づけと掃除では、相手が違うのです。
片づけの相手は「モノ」であり、掃除の相手は「汚れ」です。
そして、「モノ」は、勝手に増えたり減ったりしません。
ヒトが、動かして、増やしたり減らしたり、散らかしたりするわけです。
また、「汚れ」は、時間がたつとホコリがたまっていきます。確かに、放っておいても、汚れは生じますもんね・・・
だから、片づけるとは、「自分と向き合う」行為であり、
対して、掃除は「自然と向き合う」行為なのです。
・・・この考え方を、こんまりさんの本から学んで、なるほどー!!と納得すると同時に、深く心に染み入りました。
片づけって、自分と向き合う行為なんだ・・・だから、なかなかやりたくなかったんだ!!!私って、こわがりで、おくびょうで、なんて子どもだったんだろう。。。と、心底、自分が恥ずかしくなりましたよ・・・
さらに、掃除は、毎日、あるいは定期的に、ずっと続けていかなければいけないけれど、
片づけは、一度やってしまえば、あとはもうやらなくってもいいわけです。
そうなのか、そうだったんだ・・・と、心の鐘をゴーンと突かれた気分です。
片づけは、自分と向き合うこと、自分と向き合うこと・・・と、お経のように唱えながら、さらに気付いたことがありました。
それは、自分と徹底的に向き合う行為だからこそ、その先には、自分らしい、自分にときめく生活ができるのだということです。
ときめくとは、いろんな言葉に言い換えられそうです。
心底楽しいとか、ウキウキするとか、るんるん気分になるとか・・・簡単にいえば、幸せな生活をするということなのでは、と。
お気に入りのモノに囲まれて、お気に入りの洋服を着て、理想の生活を実現すること。
これに、ときめかないヒトはいないはず。
そして、「人生がときめく2」のオーディブルでも聴きましたが、片づけの一番最初に、理想の部屋を頭に描くことが、とーっても大事!!なんだそうです。
そこで、私も早速、自分の「理想の部屋」の画像を、こちらにすることにしました。
・・・うふふ、って感じです。
私、畳が好きなので、和室派なんですが、今の理想はこっちみたいです^^
さあ、こんまりメソッドを取り入れて、今よりもっと、ときめく人生をゲットしますよ!!
まとめ
こんまりさんの本を読み進めて、「片づけ」と「掃除」の違いを、しっかり認識することができました。
片づけは、モノを相手にすることで、それはつまり、自分自身と向き合うことであり、
掃除は、汚れを相手にすることで、自然と向き合っていくことである、ということですね。
まだまだ、始まったばかりの私の片づけへの道ですが、また随時ご報告できればと思います^^