あなたの周囲に断捨離の名人と思う人はいますか?
私にとって、それは母でした。思えばいつも、片っ端から物を捨てていて、整理整頓の能力がすばらしかったです。けれど、子どもの頃の私は、それをエライことだと思っていませんでした。
母に断捨離能力を学ぶことのなかった、私のザンゲを聞いてください。
掃除や片付け、そして物を捨てて部屋の美しさを保つことは、ひとつの能力だと思います。でも、子どもの頃の私は、そのことを理解していませんでした。
掃除を感謝しなかった
ご飯がおいしいとか、作ってくれた洋服がかわいいとか、そういう感謝の気持ちはあったと思うのですが、こと、掃除や片付けに関しては、まったく感謝していませんでした。
いま思うと汗が出てきます。あまりの自分のゴーマンさに・・
中学校1年生くらいのときだったと思います。学校から帰ってきた私に、母が、「今日はこの階段を磨いたのよ。どう?」と嬉しそうに話すのに、ふーん、としか返しませんでした。すごいとも、きれいとも・・・。実際なんとも思わなかったし、ありがとう、とも、たいへんだったね、とも言いませんでした。
それどころか、あろうことか、
「あんまり、変わらんと思う」
などとぬかした記憶があります。母の落胆ぶりやいかほどだったでしょう。
おかあさん、あのときは、ごめんなさい。
何も手伝わなかった
学校ではそうでもなかったのですが、中高生のころの私は、母に反抗していました。母のようにはなりたくないとまで思っていましたし、とにかく家を出たいと思っていて、口にも出していました。
そのくせ、家の手伝いはほぼ何もしませんでした。料理はともかく、掃除ならできたと思うのです。でも、しませんでした。何もできないくせに、不満だらけで、家がきらいでした。
もう、なんというゴーマンさでしょう。書いていて、くらくらします。
自分にできないことだと思わなかった
きわめつけは、この煩雑な家事のあれこれを、自分ができないことだと知らなかったことです。無知はゴーマンを加速させます。
さらに、なんでもすぐに捨ててしまう母を、もっと幼い頃には、うらんでいた節もあります。描いた絵やら何やらを、大事にとっておいてもらって当然と思っていたのに、捨てられていたショックが大きく、母に対して怒っていました。
でも、今ならわかります。捨てないと、部屋はきれいにならないのです。
さて、これらの私のザンゲから、あらためて気づいたことがあります。それは、断捨離を絶えず行って、キレイを保っていた母の仕事を、私は尊重していなかったということです。これは、ヒエラルキーの位置を、自分より下に置いていたということでもあります。
ここまでくると、あきれ返ってしまいますが、このチクチクと自分を責める気持ちから解放されるには、母を尊敬し、母のやってくれたことに感謝して、謝罪をするしかありません。たとえ、もう母に直接伝えることができないにしても。
同時に、ここからがまた、次なる私の断捨離へのスタートだとも思うのです。
ここまでお付き合い頂いて有難うございました。
これをお読み頂いたあなたに良いことがありますように☆