お掃除の話です。
掃除がニガテな私でも、続けていることがあります。
ですが、自分では続けているとは気づいていませんでした。
今回は、お掃除の習慣化についてシェアしたいと思います。
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お掃除も、整理整頓も、できない理由のひとつに「性格」があります。
ずぼら、面倒くさがり、散らかっていても気にならない、捨てられない、などなど、性格の指摘には耳が痛い私です。
でも、この性格って、本当に変えられないものなのでしょうか?
魚が食べられないとか、ピーマンが苦手、などという味覚の趣向のように、変えられるものではないと思い込んでいるところが、実はあるのではないでしょうか。
私事ですが、私の母は、掃除が得意でした。整理整頓にいたっては神がかっていて、同じ間取りの団地に住んでいても、近所のお母さんたちからは「違うところに住んでいるみたい」と称賛されていたものです。
そんな母のもとに21歳まで暮らしていたのに、なぜ、娘の私はこんなにも掃除も片付けも下手くそなのか・・・我ながら大いなるナゾです。
今さらながらの自己紹介はこちらです。
ただ、ひとつだけ、これはと思うことがあります。
それは、そんなキレイ好きの母に育てられた私は、自分では出来なくても、清潔さには神経質な一面がある、ということです。
ただ、この場合、この性格は、自分勝手で傲慢でサイアクな部分でもあります。
自分ではできないのに、周囲にそれを求めている、ということになりますからね。
そんなサイアクな私の性格のなかに、ひとつ、見栄っ張りという部分があります。
見栄っ張りとは、素がそうでないのに、自分をよく見せたがる、ということです。
それが家の中で現れる場所があります。洗面台です。
自分の姿かたちを整える場所が、汚いままでいるのは耐えられません。
正直にいえば、それさえも放っておける状態に、一時期はあったのですが。
つまり、洗面台でさえ、汚れるままに放っておいたこともありました。一人暮らしをしていた頃のことです。
そして、あるとき、思いました。
きれい好きの母の娘である私は、掃除も完璧でないといけないと思い込んでいるのだと。
ちょっと汚れが見えたら、ティッシュでさっと拭き取る。
それだって、立派な掃除の一部であると、私は信じていなかったのです。
雑巾と洗剤と、手袋とほおかむりと、エトセトラの道具と恰好をセットにして、はじめて完璧な掃除といえる。
完璧にしなければ掃除ではない。
どこかでそう思っていたのでしょう。
これは、つまり、ずぼらなくせに、完璧主義というどうしようもない性格の悪さですね。
別に困ることがなければ、それでも全くかまわないだろうし、誰かを困らせることでもないのでしょうが、困るのは、実は私自身でした。
ティッシュを使うのは環境破壊につながる、などとうんちくを言う前に、ティッシュを使ってでも目の前の汚れをふきとる。
雑巾ではなく、ティッシュを使う罪悪感をもたない。
そう、掃除をしない、できないのは、正体不明な罪悪感のしろものでもあるような気がします。
いま、私は、ティッシュでひとふきから始まる洗面台の掃除を、掃除と思わずに習慣にしました。
これを掃除だと思っていません。ひとふきしているうちに、やっぱりあそこも、ここもと手が自然に動いていくのです。
上記のような、性格も素行もよろしくない私ができたのだから、きっと今できないと思っているあなたにも出来ると思います。
(掃除がお得意なあなたは、ふっふっふと笑っていてくださいね)
習慣にすることで、ニガテなことも、なぜだか、いつのまにか、できている・・・これって、人生の色々なことがらにも当てはまるように思うのは気のせいでしょうか。
まずは5センチでいいから、手を動かしてみる。動かせば、次の行動へと自然につながるのが人間の摂理だと、身をもって知らされました。
掃除はまだまだ得意の域に入りませんが、この摂理を、他の場所にも応用したいと思います。
今日も最後までお付き合いいただいて有難うございました!!
これを読んでくださったあなたに、祝福あれ♡