ベトナム料理を食べようとランチに出かけて、新中華そばの店に入ってきてしまいました。
何ともおかしい話ですが、どうにも惹かれたお店だったんです。
これが大当たりで、50年生きていて一番おいしかったラーメンでした。厳密にいえば、ラーメンではなく、あくまで「新中華そば」なのですが。。
店主の方の、いわゆる昔の「ラーメン屋のおやじ」的なこだわりと姿勢から、感じたことをシェアしたいと思います。
日本のサービスは過剰すぎないか?
海外生活を少々した身としては、日本の生活は、便利で安全で快適さがあるものの、過剰サービスなのではないか?と思うことがあります。
お客さまは神様、という考え方が、形式ばかり過剰になっている気がするのです。
そこまでしてもらわなくても。。という居心地の悪さを感じるシーンがありますし、丁寧であればいいのか?と思うことも度々あります。
サービスは良くて当たり前の日本は、おもてなしという言葉にまどわされている気がしないでもないのです。
客は何を言っても許されるのか?
これもまた変な現象ではありますが、クレーム大国ニッポンと言いたくなるくらい、文句を言ったもん勝ち、ということがあります。
お金を払っているのだから、良くしてもらって当たり前、もっとサービスしろ、というお客の居丈高な態度は、日本人って本当に謙虚な民族なの?と思うくらい、ひどいこともあります。
ただ、これは、何か間違っていますよね。何を言っても許される、なんというのは、未成熟なこと限りなし、という気がします。
おいしくてコスパがよい、それ以上を求めるの?
今日おとずれた、新中華そばのお店は、ご夫婦で営業されている小さなお店でした。
12人ほどのカウンター席のみの店内は、新店か?と思うほどシンプルでモダンでキレイな内装でしたが、帰宅後に調べてみると、どうやら8年近く続いているお店のようです。
それよりも、「新中華そば」ってどんなもの?と最初は思ったのですが、これは食べてみると「なるほど、確かに!!」という類のものでした。
つまり、既成のどんなものとも違うけれど、中華そばには間違いなく、料理人の技と経験と努力が詰まって完成された作品、という一品だったんですね。
お店の紹介はここでは避けますが、ここの店主の作るすばらしい「新中華そば」の商品は、味よし、コスパよし、環境よし、ということは確かなのです。
ただ、お客への注文があります。
グループ入店の場合は全員そろってから入ること、並ぶ場所、店内では大声で話さない、禁煙、食べたら出る、などなど、最近ではお目にかからないキビシさぶりです。
それへの不満も、実際あるようです。
でも、私には、それが逆に心地よかったんですね。
これだけの商品を、このお値段で、清潔な場所でいただけるのに、それ以上何の文句をいうことがあるのだろうか、と。
店主は、愛嬌を売っているのではなく、おしゃべりの場を提供しているのでもなく、ただ美味しい「新中華そば」を出しているだけなのです。
それ以上でなくそれ以下でもないことの美学は、ビジネスへの姿勢と哲学にも通じると感じました。
これは、他人の声を聞かない、ということともまた違うと思うのです。上を目指す姿勢のなかの一つには入っているかもしれませんから。。
昔なつかしいガンコおやじのラーメン屋さんには、シンプルな正しさがあったのだろう、と思い当たりました。
過去に来訪したどのお客も、味についての文句は全く言及してないのですから・・・
さらに、お客にそこまで思ってもらえるようなものを、自分は仕事の場で作りだしているのか?と我が身を振り返ると、心もとない気持ちになります。学ぶことがたくさんあったランチタイムでした。
私の再訪は間違いないでしょう。大切な人たちにもぜひ食べてもらいたいと思えるお店ですし、店主の姿勢を真似たいと、強く感じた時間でした。